「あげな・どげな」と箏


お琴のルーツが久留米
箏、一般にお琴と言われている楽器です。
そのルーツが久留米にあるということを
知っている人は少ないと思います。
時代は室町時代、諸田賢順(けんじゅん)という
久留米市・善導寺にいた僧が、
声明(しょうみょう、仏の徳をたたえる歌)とともに
音曲を付けて箏で演奏したのが筑紫楽です。
彼の評判を聞いて招聘したのが、
筑後までも支配していた豊後の大友宗麟。
賢順はかの地で領地をもらい、妻もめとった。
その領地が諸田(国東半島)という地名が残る地で
ここから姓は来ているという説がある。
ところが、宗麟はキリスト教を信奉するようになり、
寺を破壊します。
そうした動きに恐れをなした賢順は、逃げ出します。
2023年9月の連休に久留米郷土研究会のツアーで
英彦山・国東半島を巡りました。
その目的地の一つがこの諸田でした。
また英彦山に行ったときに訪ねた銅の鳥居から下がった
小さな集落唐ケ谷は筑紫琴発祥の地とされ、
唐から来た李氏という琴の名手がいて、
賢順もこの地で学んだといいます。
さて、私はたまたま賢順のことを詳しく知る人から
原稿を掲載したいとの要請を受けて、
自分でも調べたことがあります。
そして今につながる箏の曲をつくったのが
賢順であることを知り、
しかも宗麟のおひざ元で西洋音楽に接し、
「六段の調べ」をつくったらしい
ということも知りました。
のちに八橋検校がつくったといわれるようになりますが、
実際は賢順が基本的な形をつくっていました。
あの箏曲の名曲が久留米の僧によってつくられていた。
アーカイブ19号のご紹介
1989年から始まった賢順記念全国筝曲祭という
久留米で開かれる全国的な箏の大会で
入賞したみやざき都さんを招いてライブを開きました。
同大会の主催団体で開催を支えてきた
樋口一成さんとの対談など収めたレポートは
以下のリンク(2021年冬、19号)でご覧ください。
あげな・どげな編集長
2023年10月 武藤久登
2021年冬 19号

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